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Nagoya
- 2026-06-30
名古屋大学卒業生インタビュー — 2026年5月 張豪先輩
張豪先輩は1978年から1982年まで上海の華東師範大学で歴史学を専攻されました。1988年から1994年までは名古屋大学大学院経済学研究科で経済学を学び、1994年より上海東朋科技有限公司の副董事長兼CEOを務められています。さらに2022年からは名古屋大学上海校友会の会長もご担当されています。

一、 原点を辿る:大学選びと初心
Q:当時、名古屋大学および専攻を選ばれた際の最も重要な考慮点ははどのような点でしたか。そして、時が経った今、その選択をどのように振り返っておられますか。
A:実は、当時の私にはそれほど多くの選択肢はありませんでした。1987年から1988年のことですが、私の一番の思いは「一刻も早く海外へ出ること」でした。専攻のマッチングという点では、すでに名古屋大学の経済学研究科で博士課程に在籍していた大学の同級生に頼み、経済史の藤瀬先生を紹介していただきました。
藤瀬先生は英国留学から帰国され、英国経済史を専攻されていた方です。フランシス・フクヤマの代表作『歴史の終わり』が出版されるより前から、先生は私たちに講義をしてくださいました。今振り返ると、先生には本当に先見の明があったのだと思います。華東師範大学で学んでいた時の先生方と比べても、明らかに視野が広く、国際的でした。
名古屋大学は常に自由で闊達な学風を重んじてきました。ノーベル賞受賞者を数多く輩出しているのも、決して偶然ではないと思います。名古屋大学で学んだ时間は、私にとって常に誇りであり、大切にしている宝物です。

二列目(立ち姿勢)、左から3番目は張豪先輩です。
二、 留学時代の試練と成長
Q:留学中に直面された最大の困難や転機は何でしたか。それをどのように乗り越えられ、その経験がその後の選択にどのような影響を与えましたか。
A:留学中、最大の悩みはもちろん経済的な問題でした。一般の学生と違って、妻と娘がすでに日本に来ており、学業と生活の両立ができない窮地に陥りました。幸いにも、間もなくロータリー米山奨学金をいただくことができました。そして、その奨学金が縁で、現在私が奉職している会社のロータリーメンバーの方々と知り合うことができ、彼らは卒業まで途切れることなく、個人奨学金を提供してくださいました。
そして卒業が近づいた頃、彼らから「私たちも中国で会社を立ち上げたいのだが、私たちの会社で働いてくれないか」とお誘いをいただきました。私はいわば、持参金をいただいた花嫁のように、そのままお嫁にいかなければいけないことになりました。
すべての物事には因縁があるものです。私と日本との関係も、このようにして強く結びつき、今に至ります。それが幸運であったのか不幸であったのか、評価することはできません。ただ、「運命」として受け入れるほかありませんでした。

三、 キャリア探索期の迷いとブレイクスルー
Q:卒業後の最初のお仕事は、どのように決まりましたか。就職先の選択にあたり、どのような葛藤がありましたか。 また、最終的に自分が進むべき方向性を確信された要因は何でしたか。さらに、今後名古屋大学を卒業される後輩の皆さんに、どのようなアドバイスをいただけますか。
A:この質問については、すでに前の質問で話した通りです。自分の意志で選んだというよりも、現実が私のために選んでくれた選択こそが王道でした。何度か耐えきれずに辞めようと思ったこともありました。しかし、小学4年生だった娘が、「私もずっと、お父さんとお母さんの期待に応えるため、学校でいろんな辛いことを我慢しているよ。お父さんも、私みたいに我慢してみてよ」と言ってくれたのです。涙が止まりませんでした。それ以上、他に選択肢はありませんでした。
四、 長期的な発展における心境の変化
Q:キャリアの中期において、ご自身の方向性を見直されたことはありますか。 もしある場合、何がきっかけで方向を変えたのか、あるいはそのまま続けると決めたのか。
A:今の仕事は、もう丸33年続けています!「新しい一歩を踏み出したい」と思ったことは、数えきれないほどありましたが、結局できませんでした。自分のコンフォートゾーンに慣れきっていたのか、それとも新しい挑戦が怖かったのか。そうでもないのです。ただ人情社会に生きていると、さまざまな人間関係の網に絡め取られたように身動きが取れなくなってしまいます。それが「ぶれない」と呼ばれているだけなのかもしれません。

五、 価値観と決断のロジックの変遷
Q:これまでの人生を振り返って、どのような決断がご自身に最も大きな影響を与えたとお考えですか。その認識は徐々に明確になっていったものですか、それとも何かの瞬間に突然悟られたものですか。
A:この質問を見て、お答えするよりも、むしろ質問者の方に伺いたいのですが、「あなたはこれまでの人生で、入学、就職、結婚といった重大な選択に、本を一冊選んだり、服を一枚買ったりするよりも、長い時間をかけましたか。」
少なくとも私たちの世代にとって、答えは「もっと短い」です。
では、その認識が徐々に明確になったのか、突然だったのか。 それに対しては、「Case by case & year by year.」とお答えするしかありません。
六、 時代の変化への適応と守るべきもの
Q:ご業界では、この何年かの間にどのような大きな変化がありましたか。また、名古屋大学で学ばれた専門知識を、どのように活用して、これらの変化に対応し、競争力を保たれてきましたか。
A:私たちが最初に手がけていた製品は、日立、明電舎、横河電機などの企業向けのプログラムコントローラーやインバーターでした。しかし、電子部品の調達難や人件費の高騰に伴い、20年前から徐々に液晶や半導体の検査・洗浄装置の分野へとシフトし、パンデミック前には完全に転身を果たしました。現在では従業員数は減りましたが、会社の収益力はより高まり、好循環の段階に入っています。
日本の本社自体は2029年に創業200周年を迎えます。出資者が代々引き継がれてきただけでなく、常に変化してきました。大地主から雑貨商へ、商社から投資会社へ、、そして戦後は再び実業へと、常に永続的な企業であり続けています。上海会社の事業転換も、正確に言えば、日本の中部地方の老舗企業の転換事例からの示唆が大きく関係しています。
七、 バランスと選択
Q:キャリアにおいて、仕事、家族、自己成長といった異なる側面をどのようにバランスさせてきましたか。 また、両立が困難だった時期はありますか。
A:私は1994年に帰国し、現在の会社を統括してきました。娘が小学3年生になってから、私は常に家族と離れて暮らす状態でした。これは人生における大きな後悔です。「両立」できなかったからです。そして、多くの後悔は永遠に埋め合わせることができません。
娘は大学を卒業した後、私の独断でアメリカへ留学させることになりました。最初は私を恨んでおり、「パパはただ、自分が叶えられなかったアメリカ留学の夢を私に押し付けているだけだ」と言っていました。しかし、後に彼女は米国で博士号を取得し、現在はニューヨーク市立大学で教鞭をとっています。ようやく少しだけ父の苦心を理解し、過去と「和解」してくれたようです。

八、 若い世代への洞察とアドバイス
Q:現在の就職環境を踏まえ、就職や起業を考えている若い方々にどのようなアドバイスをされますか。また、ご自身の過去の経験のうち、今も通用するものと、再考が必要だと感じるものは何でしょうか。文系・理系それぞれの進路についてのアドバイスをお願いします。
A:「誰もが大学生」の時代において、大学それ自体はもはや「プレミアム効果」を提供できません。これはすべての新入生が直視しなければならない問題です。また、名古屋大学というプラットフォームの上で、どのようなシナリオを演じるのかは、最終的には自分自身が考えることであり、学校や専攻が自動的に決めてくれるものではありません。
九、大学教育の内省
Q:名古屋大学があなたに与えた最も重要な能力や思考は何だと思いますか。在学中にもっと早く気づいておけばよかったと思うことはありますか。
A:名古屋大学のモットー——「勇気ある知識人」は、非常に高尚な座右の銘であり、私はこれを終生の指針としております。
名古屋大学の自由闊達な雰囲気は、私たちのような「異端」の存在をも包み込んでくれました。
私は本当に幸運でした。人生のどん底にいた時、まるでネズミのように名古屋大学という谷倉に落ち込んだのですから。
十、時を超えて未来へ贈る言葉
Q:大学時代のご自分に一言伝えるとしたら、何と言いますか。また、今まさにキャンパスにいる後輩の皆さんに、ぜひ早く身につけてほしい習慣や意識は何ですか。
A: 時間を大切に!
若い頃の最大の過ちは、時間にはコストがかからないと思い込み、いくら無駄にしても構わないと信じてしまうことです。
そして、ある時点で、あの第五問で使われた言葉のように「突然悟った」と思った瞬間には、すでに取り返しがつかないほどに手遅れになっているのです。
では、早く身につけてほしい習慣や意識とは。——『出師表』の古い言葉を借りれば、「志は当に高遠に存すべし」になります(志当存高遠)」です。
あなたが自身の人生をどのように位置づけるか——それが、あなたの人生の最低ラインを決定することになるのです。
結び
当センターのインタビューにお応えいただき、誠にありがとうございました。張豪先輩の誠実なお話が校友の皆様の共感を呼び、現在学んでいる後輩の皆さんに気づきと励ましをもたらすことを願っております。